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過ぎ去った時間は戻らない。けれど、記憶は永遠。 舞台や本など、残しておきたい時をきまぐれに更新中。
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8月は暑さにやられて調子が悪かったです。
そんな中!風間のドラゴンクエストは観に行った!!
今月は一路さんと小西さんのガラスの仮面を2回観に行けた!
どんなに辛くてもやっぱり舞台は楽しい。
生きる活力の元でございます(^◇^)

では、本題(今日は病気のことについてだよ)
繊維筋痛症の保険適応のお薬は、リリカとサインバルタ。
昨年末に線維筋痛症の診断を受けて、うつの治療で飲んでいたレクサプロをサインバルタ60mgへ変更しました。これは何事もなくすんなりと移行。
ここから飲み始めたリリカも順調に増量してたんですけど、この春の診断で肝臓の値が悪化してたのよね。
これはリリカの副作用ということで減薬中。急に減らせないので今は1日50mg。
結構痛みも感じなくなって(鈍感になっただけかもしれないけど)いい感じだったんですけどね。
でも、もともと精神系のお薬に疑問を持っているので、ドクターにも相談して漢方も取り入れることにしました。
私の通っている病院には漢方外来があるので、今は精神科と漢方外来で治療中。
なんか精神科というと聞こえが悪いから嫌だなあとも思うんですが、薬は最低限しか出してくれないし(私が拒否るからかもしれないけどね)案外他の科への紹介も嫌がられなかったりするので(私の担当の先生は今までみんなそうだったので)リュウマチ科に変わらずすっと精神科に通ってます。
それにね、線維筋痛症って結局ストレスが原因だと思うのね。
自分で自分を責めてる病気だと思う。
うつとかもそう。
自分の限界を超えてるのに頑張ろうとするから、脳がこれ以上は無理って心と体を縛っちゃうんだと思うの。
じゃあ、ストレスって何?誰だってストレスあるじゃん!
みんなストレスあるけど頑張って仕事してるんだからね。
そうなのよ、私だってそう思って頑張ってた訳なのよ。
それがだんだん、なんか体がついていかない。年なのかな、体力がないからかな…から、更年期時期ということもあって、老後大丈夫かな、このまま働けるのかなになっていき……
気づけば容姿の劣化(体型に現れるよね)物忘れも以前より多くなっていくし、気力で乗り切れないし、目につくのは同年代の元気な人たち…。
どんどんネガティブな感情に押しつぶされて身動きがとれなくなっていく。
更年期の時期は特に女性はホルモンの関係で、身体的にも精神的にも不調になりやすい頃。
私の母はストレスフリーな超前向きな人ですけど(なんといっても陣痛もなく出産し、80歳まで頭痛の肩こりも知らなかったんです)その母にしても更年期にはホットフラッシュの症状は経験したというのですから、更年期恐るべしなのです。
では、ストレスから逃れる為にはどうするか。
うつとか線維筋痛症とかストレスからきているかもな病気の場合は、家族の理解と協力が不可欠です。
でもこれが難しいのよね。
ストレスの元が仕事なら仕事を辞めたらいいかもしれない。
でも仕事を辞めたらたちまち生活費をどうするかという、これはこれで頭の痛い話(=ストレス)になるわけで…。
まあ、体が痛い=ストレスなわけだしね。
でも不思議と大好きな舞台を観ている間は、あまり痛くないんだなあ、これが。
拍手とかすると、やばいっっってなりますが(^^;
でも人間は、好きなことだけして生きていられないのだわ。
帝劇のそばに住んで毎日観劇三昧したい!のは夢のまた夢。
だから、今日も歯を食いしばりつつ(なんか痛さには鈍感になっている分、気づくと歯を食いしばってることが多いのよね)家事を頑張るのでした。

おまけ:
一応、掃除と食事の用意とお洗濯を週に5日くらいはできているので、この間娘ちゃんたちがご褒美?にスタンド型の掃除機を買ってくれたのです。
(これでもっと掃除をしろという無言の圧力かも)
あと欲しかったミキサーも買ってくれたので、毎日大好きなバナナジュースが飲めて幸せ\(^o^)/



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今日は本の話。

雪冤
大門剛明による日本の推理小説。
2009年の第29回横溝正史 ミステリ大賞で大賞とテレビ東京賞をダブルで受賞した作品。

先日テレビでチャンネル回していたら、死刑囚の息子と対面する父親の場面と出くわした。
私が観たのはたったそれだけだったんだけど、心に引っかかるものがあって調べてみたら、
2010年に放映されたドラマで、原作が先の「雪冤」(ドラマのタイトルも同じ)
ドラマは原作と設定が若干違うらしいのだけど、とにかく本を読まねばと購入。
久しぶりに本の世界に入り込んだ。
抜け切れずに読後は何も手につかなかった。
内容は冤罪や死刑制度を取り扱っていて重いのだけど、読みやすい文章で一気に引き込まれてしまいました。
現世界に戻るのに時間かかったよ…
つかれた…

ざっと説明すると、元弁護士の男の息子が殺人の為死刑を宣告されます。
亡くなったのはボランティア活動を一緒にしていた女性と男性の2人。
死亡現場の女性の家から出るところを、女性の妹に見られてしまいます。
が、息子は無罪を主張。
いつ死刑執行になるかわからない息子の為に、再審を求める為奔走する父親の元に「息子さんは犯人ではない。」との告白の電話がかかります。
同じころ被害者の妹へも同じ内容の電話がかかってきます。
犯人を憎んでいた妹も次第にこれは冤罪ではないのかと考えるようになりますが、真犯人がいる確固たる証拠がない為、担当弁護士が再審請求をためらっていたところ、息子の死刑が執行され…。
色々な糸が絡み合って起こった事件を、父親が執念と弁護士として培ってきたカン(とでも言えばいいのか)で、真相を解き明かしていくのですが、事件に関わった人たちの感情がなかなかやっかいで、この人が犯人?かと思えばフェイクだったり、最後まで予断を許しません。
冤罪と死刑制度についても、被害者、加害者側からの視点で描かれていて考えさせられます。
また息子が命を懸けてまで「犯人」を守ろうとする思いや(脳内で補完が必要かも)
真実を隠蔽するその意思を継ぐ者が現れて正義(=愛)とは何かも問いかけてきます。

最初と最後に「Soon-Ah Will Be Done(黒人霊歌)」の合唱シーンがあります。
他にも重要場面で使われています。
この曲は「もうすぐ私は終わりだ。神の御許に行く。」という内容だそうです。
「走れメロス」の内容も知って読んだほうがわかりやすいかもしれません。


許すことが最大の罰である。
読後に、クリスチャンの作家さんが書いておられたことを思い出しました。
この物語に出てくる人は、何かしら罪悪感を抱えていて、その感情が真実をより見えなくしてしまっているのですが、この罪悪感という感情は本当に厄介です。
罪悪感は負の感情なので、前に進むことができません。
罪悪感から解放されて、自分の進む道が見えたとき、本当の「雪冤」が始まる。そんな物語。






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マーちゃんが心筋梗塞で亡くなった…。
結婚されてお子様もいらして、幸せに暮らされていたのだろうに。
57歳って、早いよ。
チャーリーも早くに癌で亡くなられたし。
としちゃんだけになってしまったね。
ベルサイユのばらのレコーディングの時、コンで声つぶして怒られて翌日に再レコーディングになったとか、としちゃんが甘い声でソロが歌えなくて、マーちゃんが全部歌うことになったけど、「ばら」が発音できなくて、みんなに「ばだ」ってからかわれたり。
ハートの夢も好きだったな。
結構当時のこと、覚えてるものね。
リーブのバックについてくれていた中で、一番好きだった。
ジュニア時代、ひろみくんのバックでガシガシ踊ってたの覚えてる、裸のビーナスとか、花とみつばちとか。
紅白でワンテンポ早くバク転したのも、マーちゃんだったような記憶が(映像あるから後で確認してみよう)
おはよう子供ショーとかにも出てたよね。
これでJJSとやっちんとかみんなで歌ってる曲でぼくらは巨人のファンという曲があって、なぜかこの曲だけ歌える(野球には興味ないけど)
エースをねらえ!もVIPから知って漫画を読んではまった。
またひとつ、青春時代の星が消えていった…。
JJSはジャニーズの特集があっても、写真のみの場合が多くて、記憶の中でしかその姿を思い出すしかないけど、心の中ではいつまでもアイドルでした。
ほんと、かわいかったなあ。
(マーちゃんの方が年上だけども)
さみしいよ…。
ご冥福をお祈りいたします。
もう1年も前のことなんですね。
4日前、あれほど恐怖だった(もしうつをぶりかえしたらという)風邪を引きました。
寝ましたよ。これでもかというくらい。
ゆっくりと寝たからか、39度以上の熱が続きましたが、体の毒素が出て行った感じで、
すっきりとしております。
いつも長引くのに、「安静」にしていればほんの4,5日で回復するのですね。
当たり前なことなのに、更年期の時期はこの当たり前のことができない。
焦ってしまう。
仕事をしていれば、この4日間のお休みをとることに「罪悪感」を覚えてしまって、
ゆっくり静養できない結果、こじらせてしまうパターンだったように思います。
休めと言われても出勤してたものね。
だって、休めとは言うけど、他の社員が休んでたらグチグチ言ってるの聞こえてるから(笑)
ちなみに若いときの私は、風邪を引いたら有給をフルに使って休んでました。

とにかく昨年の今頃の私は焦りまくりでした。
ゆっくりなんか寝ていられないけど、ゆっくりしなくちゃって思う。
とりあえず散歩が良いと聞いて、緑のある公園に毎日散歩をしに行きました。
ゆっくり、ゆっくりと歩いて。
どこかに書いてあったんです。
歩けなくなるのは、これ以上動いたらダメだと「脳が信号を送っている」のだと。
だから、もう急いでないですよ~、ゆっくり、のんびりしてますよ~と脳にわからせるように
ゆっくりと歩きながら、木々や草花に足を止めて自然を感じたり、鳥の声に耳を傾けるように
道草しながら歩きなさいと。

お薬も漢方を飲みだしました。
こちらは煎じて飲むタイプで、西洋薬に恐怖を抱いていので、お金はかかりましたけど、
そんなことは言っていられないほど、せっぱ詰まってました。
漢方は合えば効果てき面なので、漢方薬局さんで自分に合わせて調合してもらうのが
一番だと思います。
ただ、うつの場合はやはり時間がかかるようです。
普通は西洋薬を試してから、なかなか治らないので漢方に来る方が多いようですし、
症状がよくなるかもしれないなら、西洋薬を試してみる価値はあると思う
と漢方薬局の先生にも言われました。
心療内科では、副作用のことを考えると怖くて薬を飲むことができないということで、
最初は漢方のみで治療を始めました。
今考えると、私に合った先生とここでも巡り合えて幸運でした。
薬は勧められたけど、症状も改善傾向にあるししばらく様子をみるということで、
とりあえず抗鬱薬を回避できました。
ちなみにこのころの私は「薬を飲まずに治せないか」ということばかり考えてましたが、
結局薬は飲みました。
まあ、今も飲んでます。
それも当時絶対嫌だったサインバルタとリリカ。
どちらも線維筋痛症のお薬で今飲んでますけど、飲むのやめる時が若干怖いよね(苦笑)
だって、検索したらひどい副作用しか出てこないもの。
でも、飲みはじめた時は副作用はありませんでした。
ボルタレンも服用していますが、ひょっとしたらこれの副作用の方がひどいんじゃね?と
思う今日この頃(胃にくるので、胃薬2種類飲んでます…)
ただ症状が少し落ち着いて、納得してから飲んだのもよかったのかな。
飲み始めると長いお付き合いになるお薬なので、不安もあるけど、薬の力を上手に利用して
前向きに治療することが最善なのかなと思います。
なかなかそうなれないから、困っちゃうんだけどね。



母に教わった黒豆ごはん。
あまりにも簡単なのに美味しいので、レシピのおすそ分け(*^^*)

簡単に云えば、ご飯炊くときに黒豆を入れるだけ^^;
一晩水に浸けるとかしないの!

我が家は玄米や雑穀を混ぜて炊いてるので、
白米 1合
玄米と雑穀 1合
黒豆はさっと洗ってから一握り強くらい
塩少々
酒かみりん少々(お好みで、なくても良い)
お水加減はいつも通りでOKです。
あとはスイッチぽんっ!
早炊きモードで炊いてるけど問題なし♪
しっかり噛んで食べて下さいね(*^^*)


2月。
この頃私が在中していた店舗の方が、母親の更年期と症状がよく似ているからと、とにかく休んだ方がいいと言ってくれていました。
彼女のお母さんは更年期のとき、パニック障害になり入院もされたそうです。今はもの凄く元気だし更年期は治るものだから、とにかく無理せずに休んだ方が絶対いいと。
でも私は休むことができませんでした。
家でゆっくりと横になって休むことに、恐怖のような感覚を抱いていたのです。
家に入ることは社会から隔離されることと同じでした。
出勤して、 辛いときは車の中で休ませてもらっている方が、はるかに安心できました。
この頃、更年期外来で元気がでるという男性ホルモンも入ったホルモン注射もしました。その日は気持ちもUPしましたが、翌日にはいつも通り…。効きませんでした。
会社の方からお灸が疼痛にいいと聞いて、お灸もしてみました。
そしてネットで調べていたら、漢方を飲むなら専門の先生に処方してもらった方が良いとあり、半夏厚朴湯が効いていたこともあり、休みの日に藁をすがる思いで漢方薬局に行ったのです。
最初の信頼できる先生との出会いでした。
そこで今までの話を親身になって聞いてもらい涙が止まらなくなりました。
分かってくれる人がいる。
それだけで気持ちが上がってくるのですね。
このあと、私の状態に合わせた漢方を煎じて飲むことになりました。
その翌日、出勤してもソワソワしていたたまれなくなり、どうにもならなくなりました。
限界だったのだと思います。
その日は日曜日でした。
実家の姉に電話して経緯を話しました。
姉は医療関係者なので、的確にアドバイスをしてくれました。
症状からみて更年期からのものだろうこと。
ドクターショッピングは避けた方が良いこと。
ストレスからくるので、家や社会と一旦離れて入院治療することも改善しやすいこと。
とにかく電話して病院に予約を取ること。
命に関わる病ではないので、辛い状態でも救急外来では処置は難しいこと。
休めるなら休んだ方がいいこと。
姉妹なのだから力になるからと言ってもらえて、本当にありがたかったです。
総合病院の心療内科で予約をとりました。
やはり直ぐは無理で12日後となりました。
何とか会社には行っていましたが、ある日車で出勤していると、運転が恐くなってしまいました。
2日ほど会社を休み、覚悟を決めました。
これ以上仕事を続けることはできない。とにかく休もうと。
どうしても片付けておかないとダメな仕事を、出勤して終わらせました。
簡単に片付けもして、身辺整理もしました。
そして、病院に予約していること、診察結果がでるまで、とりあえず休ませて欲しいことを伝えて会社を後にしました。
ほっとしたような、もう復帰は無理だとも感じていたのて、寂しいような、複雑な気持ちでした。
この時には、身体の痛み特に首から肩にかけてと、頭痛、足が動かない(歩みが鈍くなり、5分歩くのも辛い)
胸から喉にかけての違和感、不安、ソワソワして落ちつけない、テレビが見れない、小説も読めない、動悸、喉の渇き、ドライノーズ、食べれない、中途覚醒、強い眠気など。
そして、薬の副作用に強い不安を抱いていました。
ネットの情報をみて恐くなってしまったのです。

次へ。




更年期障害と診断され、ホルモン剤を飲むことにしました。
最初はプラセンタが希望でしたが、更年期の場合はホルモンが有効とのことでした。
デメリットは乳ガンになる可能性が上がること。
私は病気になるときはなるという考えだし、とにかくこの不安定な違和感ががなくなるならと治療を受けることに決めました。
ホルモンを飲み始めてから5日め。
女子会に参加しました。
風邪を引いて20日経ってもまだ完治せず、病院から向かいました。
久しぶりの女子会。楽しくはあったのです。
けれど、長時間お店の中にいると、圧迫感から息苦しさを感じで叫びだしたいような、イライラが襲ってきました。
そして、帰りの駅のホームで、動悸が酷くなり、電車に乗ることができない自分がいたのです。
この時、後輩に電話して一緒に帰ってもらおうかとまで思いましたが、何とかとどまり、呼吸を整えて次の電車に思いきって乗りました。胸を押さえて耐えた15分は長く感じました。
こうして症状は更に酷くなっていきました。
この頃から喉がつかえるような違和感も覚えだしました。
梅核気 ヒステリー球とも呼ばれていますが、本当に不快で仕方ありません。
短時間の運転でも気を失うような強い眠気が襲ってきます。
お風呂に入る気力も無くなってきました。
正直顔すら洗うのが億劫でした。
食事もままならなくなってきました。
これは本当におかしい。
急いで病院へ行きました。
ここでツムラ漢方9と16を処方されました。
16番は半夏厚朴湯といい、梅核気にはよく効きました。
これで随分と楽になりました。
けれど、仕事に行っても人と関わるのも辛く、お店の中にいるとソワソワして落ち着かないのです。
年上の方から、更年期はこじらせると大変なことになるからと言われ、そんなものなんだと妙に安心したりして、今考えると本当に迷走してました。
風邪も治らず、抗生物質の副作用からか、喉の渇きとドライノーズに悩まされるようになっていました。
歩くのも辛くて、食事はメイバランスという、ドリンクタイプの栄養食を無理矢理喉に流し込むようにしていました。
血圧も下がり90以下になって、立ち眩みも酷くなり、どうしたらいいのか、わからなくなりました。

もう少し続きます。


10月。離れて暮らしている子どもたちが、会社の寮から引っ越しをすることになり、防犯に対して異常なほど心配して、不安が押し寄せてくるようになりました。
そのことが頭から離れず、テレビや舞台、コンサートも心底楽しむことができず、引っ越し先で何かか起こったらどうしようと、悪い事しか頭に浮かばず、不安ばかりがつのって防犯サイトを検索してたり、防犯グッズを購入したり。
人からもそんなに心配しなくても、と呆れられるほどでした。
けれど自分では子どものことになったら、やっぱり私でも心配になるだくらいの気持ちでした。
子どもたちには、ほとんど親らしいことはしてないので、こういう時くらいは親として出きることをと思っていたから。
この頃すでに病魔は私のなかに巣くっていたのに、全く気付くこともなく、12月になりました。
休みの日、整体に行ったときのこと。
いつもなら先生との無駄な話も楽しいのに、ひたすらうっとおしく早く止めて帰りたいと思ったのです。
いつもとは違う違和感。
それが何なのか、不安を抱えつつ過ごしていました。
そんなある日、 お客様のクレーム対応で、そのお客様の前で手が震えて文字が書けなくなる事態が起こりました。
何とか手に力を込めて書きましたが、これまでにないことで不安が募ってきます。
けれど、歳をとってきて精神的に弱くなったきたのかもと、上司に笑って報告しました。
でも本当はこの時に色々聞いて貰いたかったのかもしれません。
一人で動く仕事をしていたし、男性ばかりの職場で、仕事の悩みを相談できる人がいなかったのは、やはり辛かったですね。
任されたプロジェクトも白紙になったり、乗り越えられない壁が目の前にありました。

そして2015年。正月。
子どもの所で過ごして帰るという日。
明日から仕事だというのに、風邪を引いたのです。
子どもに病院へ付き添ってもらい、薬を処方してもらいました。
そして、子どもの家に帰ったのですが…。
とにかく落ち着かないのです。
ソワソワしてじっとしているのがツラい。
直ぐにでもここから出たい。
息苦しさを感じました。
なんとか取り繕い、帰途に付きました。
電車に乗っている間、頭の中でノイズが鳴っているような感じで不快でした。
とにかく早く降りたくて仕方ありませんでした。
こうして大きくなる不安を抑えて家に帰りました。
動悸が続き、呼吸がうまくできなくなり、眠れない日々が続きましたが、週末に会議があり、その準備もあったことと、休暇の後に休むことへの罪悪感もあり、休まずに仕事は行いました。
会議が終わったあと、ほっとしたのか症状がひどくなり、翌日は休みました。
寝床ではひたすらスマフォで検索していました。
動悸がする。息苦しい。鼻がつまる。喉の痛み。などなど。
じっと寝ていればいいのに、検索することを止めることができません。
夕方になり、動悸を打つ音が早くなり響きわたるような感じになりました。息も苦しくなり、手が強ばり、これはヤバいと流石に感じて、急いで着替えてタクシーで救急外来に行きました。
その日は土曜日で人も多く、座るとこすら無いような状況でした。
なんとか受付をしましたが、手の震えが止まらずからだに力が入らなくなり、受付のカウンターで倒れかけてしまいました。
ちょっとしたパニックをおこしたのですが、命にかかわる訳ではないので、車イスに座らせてもらい、ひたすら順番を待ちました。
その間に気持ちも落ち着いてきて、手の震えも強ばりもなくなりました。
診断は風邪で薬も今飲んでいるものでいいとのこと。
ただ、不安なら点滴打つくらいなら、と言われたのでお願いしました。
看護師さんに、辛いですね、氷枕しましょう。と言ってもらって、心底ほっとしました。
病院にいて、看護師さんがいるだけで安心できたのです。
翌日からは、仕事に行きました。
家で寝ているより、会社にいる方が安心して居られる感じがしていたのです。
けれど、自分の中の違和感がどんどん大きくなり、更年期障害だと確信して、専門の病院へ行くことにしました。

まだ、続きます。

需要あるのかわからないけど、悩んでいる方も多いと思うので、私の場合ということで。
みたり聞いたり試して良かったことなども後々書こうかと。
参考になれば幸です。

ということで、2014年。
大切な研修(指導)の前日に風邪を引いたことが、今考えれば引き金でした。
もともと風邪を引くと、喉頭炎から呼吸困難になったりと症状も酷くなりやすく長引くので、本当に引かないように気を付けてました。
接客業なので同じ指導をしている方から否定されつつも、予防のためのマスクをしてました。
それなのに、一番大切な研修で風邪から声がでなくなり行うことができなくなったのです。
すぐに病院にも行ったのに、症状は酷くなるばかりで、家にいても不安になるし、声は出ないまま2日ほど休んで復帰しました。
丁度新しい店舗の研修もあり、仕事も忙しかったのですが、ぶり返したりとなかなか完治しませんでした。
その頃は体力的にも精神的にも、仕事をやっていけるのか不安でした。
生活もあるので辞める訳にもいかないけど、自分でも限界を感じていたと思います。
この頃更年期もみてくださるお医者様から、ツムラ漢方103を処方されました。
でも私にはあわなかったようで、逆に不安が大きくなり止めました。
後で信頼できる漢方の先生と出会いましたが、漢方は専門の先生に処方してもらうことが大事ですね。

身体に不安を抱ながらも、この年は微熱に悩まされることもなく、更年期からは解放されたのかもと密かに思ってました。
肩こりや腰痛、疲れは体力不足からくるもので、運動とかすれば大丈夫だろうと。
私はホットフラッシュの症状はなく、微熱くらいで済んだくらいに思ってたのです。
身体の異変を感じたのは8月。
長く歩くことが難しい感じ。
あるけないわけではないけど、足がうまく進まないような違和感。
疲れからだろうと思ってました。
この頃往復100キロ近くを運転して通勤していました。
帰り道、気を失いそうな眠気が何度も襲ってきて、何度も停車しては寝てましたが、すべて疲れからだと思って、それをおかしいとは思ってもいませんでした。
そうこうしているうちに、腰の痛みが酷くなり、起き上がるのにも時間がかかるようになり、整体に通うようになりました。
内科で湿布と痛み止めにロキソニンを処方してもらいましたが、痛みには効きませんでしたね。
整体ではあんまと鍼をしてもらって、それなりには効果を感じましたが、痛みは続き、この頃は屈むのも難かしく、歩くのも痛いので、杖を買おうかと真剣に悩んだこともありました。
でも、すべては体力不足だと思ってたのです。

そして精神的にも異変が起こります。
続きます。




更年期と診断されてからからこれ7年。
結構長く付き合ってます。
ただ仕事辞めるようになるなんてね。
私が知っている50代の方たちは、それなりに大変そうだったけれど、イキイキと楽しんでいらしたのに、なんで私はこんなになってしまったんだろ?とナーバスになったり。
でも冷静に考えれば、状態が酷い方は、仕事や遊びどころではないし、日常生活すらが大変なわけで、そうした方たちを知る機会もないのよね。
今はこの状態をそれなりに楽しく過ごしてますが、家族の支えや変わらず付き合ってくれる友人たち。
本当に恵まれてます。
ありがとうね(*^^*)

最初の症状は、続く微熱と疲れ易くて階段を登るのも辛い。動悸、立ち眩み。
もともと平熱が35.2くらい。冷え性で風邪をひきやすい。運動は嫌い^^;
自分でも運動不足だという認識はあったし、食生活も野菜不足。便秘と下痢(失礼^^;)を繰り返し、睡眠もとれてない状態でした。
加えて肩こり、腰痛、頭痛と整体の先生から70歳のおばあちゃんのカラダといわれる始末。
流石に危機を感じて、2009年の夏に更年期外来へ。
血液検査の結果、ホルモンも減少しているし、原因となる病気も見つからなかったので、更年期の入り口だねと、漢方を処方して貰いました。
何種類か変更して飲んだけど、症状は改善せず。
春から秋まで37度前後の微熱で、ふわふわしながら仕事していました。
結局漢方も飲み忘れたりで止めてしまい、そのまま月日がたっていきました…。

2011年。それは始まりました。
慢性腸炎。
ストレスかららしいと上司に告げたら、「えー、ストレスあるの?」と笑われたので、私も笑い返すしかなかったけど、これは一年以上苦しみましたね。
コンサートや舞台の時は本当に辛かったです。
ギリギリまでお手洗いに入って、正露丸飲んでしのいでました^^;
もともと痔(失礼^^;)もあって←女性に多いのにあまり情報がないと思うので、またの機会にね。
人にも言えないし、出掛ける時は人が居ないトイレを探さないと恥ずかしいし。
でもなんとか持ち直して2014年春。
ここから坂道を転がるように落ちていきました…。

続きます。




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自己紹介:

▼趣味


舞台を観ること


歌うこと


お芝居すること


本を読むこと


占いをすること


まどろむこと



▼好きな言葉


終わりよければすべてよし(最期は笑って人生を終わりたいので)


冬来たりなば春遠からじ(辛い時はいつもこの言葉を思い出します)


願いは叶う(と信じてます)


ケ・セラセラ(なるようになるもの。人生捨てたもんじゃない!)


ポレポレ(ゆっくりとね)



▼好きな花


バラの花(やっぱり紫のバラでしょうか)



▼好きな色




▼夢


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